ねぇジョニー聞いてくれ

4歳6歳男子の育児の記録。時短共働きであくせくしている日々の様子、買って良かった物の記録など。

5年前の3月12日に私が経験したこと

5年前の3月12日のことで思い出したことがあったので書き残しておきます。

私は仕事中に東日本大震災に見舞われました。
幸い津波が来た地域にいたわけではありませんが、自身から数時間後に職場の近くの見回りに行った同僚から電柱は傾き、道路からは水が噴き出していた、という話を聞いてとんでもないことが起こったんだ…!ということをひしひしと感じたのを覚えています。

その後、私は避難所になっている小学校に派遣され、3月11日の深夜から翌朝まで避難民の誘導、お世話、雑用といった細々とした仕事をほとんど寝ずにしたのでした。

3月12日の朝5時くらいだったかと思います。大勢の人が防災用の毛布にくるまって寝ている暗い体育館とは裏腹に、少しずつ明るくなってきた外にいた私。辛い日でも朝は来るんだ、と朝日を見ながら希望を見出していました。

その時、スーツ姿の30代くらいの男性が近づいてきました。
「すみません。こちらの小学校に保育園児が避難していると思うのですが、お迎えに来たので避難している場所を教えてください」と。
話しを聞いてみると会社から夜通し約20km歩いてきたとのこと。こどもが無事かとても心配だったこと。革靴で歩いてきたので足が痛いことを教えてくれました。

私は保育園児たちが保育士さんたちのそばで小さくなって寝ている図書室に案内し、そこで親子は再会したのです。

3月12日の早朝の出来事でした。

*****

夜通し歩いてきたお父さんと子供が再会できた時のことを思い出すと、じわっと涙が出そうになります。
今なら子供の不安な気持ちも、お父さん側の心配な気持ちもどっちもわかるなあ。

教訓としてはやはり職場には、
・運動靴
・歩いて帰るために必要な食料や水
・地図
を常に準備しておく必要があるなと思いました。
仕事柄、私は非常災害時には帰れなくなってしまうので、夫にこの話をして靴や食料などを備えておいてもらうようにお願いしたけどまだ準備してないだろうな…。ちなみに調べたら夫の会社から保育園まで約20kmでした。ほぼ同じ!

災害は経験した者とそうでない者で意識がかなり違うと思うので、何とか埋められるといいんだけども。
夫への教育はまだまだ続きそうです。