ねぇジョニー聞いてくれ

4歳6歳男子の育児の記録。時短共働きであくせくしている日々の様子、買って良かった物の記録など。

良い専門家とは驕り高ぶらないこと


昨日は某市の某プロジェクトの会議に出席してきた。行政、市民、専門家が一体となって、とあることをやろうじゃないか!というプロジェクトなんだけど、去年からやっているのに、なかなか進まないしまとまらない。でも誰も焦ってない。そんな会議。(内容伏せすぎで全然わかんないね!)

私は専門家の卵として今年から出席してるんだけど、毎回(とは言っても2回目)収穫物が多くあって非常に実りある会議だと思ってる。行政や市民の人たちは、当然のことながら私たちの専門分野の知識が私たちよりも少ないわけで。私たちが“当たり前”だと思ってる専門分野関連の説明をちょっとしただけでも「そうだったんですかー」「なるほどー」と言われて、そこではっと気づくのだ。「もう私たちは専門家でありその分野に関しては一般の人から比べたらエキスパートなんだ」って。

大学生活の2年間で実は何にも学べてなかったんじゃないの…?なんて思ってたけど、それは大間違いだった。専門分野の基礎知識を学んで、それが知らない間に身に付いてた。もう何年も前から知っているようなことのような感覚さえしてた。みんな知ってることだと勘違いしてた。でもそれは違った。みんなが知らないことだってことを忘れてた。

もう専門分野に関しては一般の方々の感覚を忘れちゃってる部分もあるんだよな、と思って恐ろしくなった。そんなんじゃ、絶対に人にわかりやすく教えることなんてできないだろう。でもウチの研究室の先生(一番最初に出てきた「専門家」)はたぶん、専門家が知っていることと一般の方々が知らないことの区別が私たちよりも確実についてるんだと思った。それがプロなんだろうなぁ、たぶん。

だから行政、市民の方々と共に話し合いをして、お互いが知っていることを教えあう会議をするということは、お互いとてもメリットのあることなんじゃないかと思う。もっともっと話し合いの機会を持って、自分が専門家の卵ではあるけれど、その分野に関しても無知で盲目ある事を知らなくちゃいけないはずだ。