(8歳)(5歳) オンライン診察と発達障害って相性がいいかも
自閉症スペクトラム(アスペルガー)の長男は病院嫌いでここ半年くらい通院拒否し続けています。
インフルエンザの予防接種、小児科での喘息やアトピーの定期受診、児童精神科も全て嫌がるので我が家を悩ませる一大問題です。
「遠い」「痛い」「待つのが嫌」「いつ呼ばれるかわからないものを待てない」というのが理由のようです。まあ気持ちはわからないでもない…。
ちなみに定型発達の次男は「病院行こうー」と言うと、簡単についてきてくれるので楽ちんです。(むしろ兄の分の薬を取りに行くのもついてきてくれます…優しさに泣ける)
ここからは病院嫌いな長男とどう折り合いをつけているかを書いていきます。
・予防接種
諦めました。赤ちゃんの時に済ませなければならないものは全て打ちましたが、今年からインフルエンザはスルーしています。
インフルエンザに罹るリスク、インフルエンザの後遺症のリスクもわかっていますが、病院に来てくれないのでお手上げです。
仮に医師が来て家で打つ、と言っても彼は打たないだろうなあ…。
今年はコロナが流行っているのでインフルエンザは流行らないと思ったのもスルーした一因です。また来年から悩ましいです。
・近医の小児科の受診
オンライン診察を利用しています。ありがたいことにコロナ禍で開始されたのでそれを使って電話で受診します。
喘息もアトピーもそこそこ落ち着いているのでオンライン診察で十分そうです。アトピーの経過は写真で見せたりしています。
オンライン診察後は私が薬を取りに行って終了。
・児童精神科(我が家からちょっと遠い)
あまりにも行きたがらないですが、発達障害の薬は効いている感じはあるので服薬は辞めたくない。ということで私や弟が診察を代わりに受けて投薬してもらっています。こちらもオンライン診察が増えればいいんですが、古い児童精神科なので難しそう。
苦労しつつなんとか乗り気っています。
コロナ禍でオンラインの流れになってきているので、今まで生きづらさを感じていた人も生きやすい社会になるといいなと心から願っています。
(8歳)(5歳)将来の夢
小学生って、最近ではYouTuberとかeスポーツに将来なりたいなと思う人も多いみたいですね。
我が家の長男8歳(自閉症スペクトラム)も次男5歳もYouTubeもゲームも大好きです。
学校から帰ってくると宿題を済ませて、日向ぼっこしながらYouTubeでゲーム実況を見て、ゲームをして、の繰り返し。
長男は今は週4で数時間程度学校に行き、あと1日は「調整日」としてお休み、と学校と取り決めています。(週3日はお休み)
そんな気ままな生活の長男なので、将来週5日で働く正社員なんてなるのは難しいんだろうなーとずっと気になっています。
将来、障害者手帳を取得して、障害者雇用でフルタイムではなく働くか、作業所で働ければ大拍手!!!と思っています。
私は将来の長男が非常に心配なのですが、本人に「将来の夢とかあるの?」と聞くとこんな答えが返って来ました。
「家の畑で野菜を作って、それを売ったお金でゲームを買って、ゴロゴロしながらゲームをする」
なるほど!!!!!
本人は会社員とかそういう感じのところに就労する気が0でした笑
本人が自分のしたいこと、自分のキャパシティが一番よくわかっていてさすがだな、と思わされたのでした。
今年も夏野菜作って食べたり売ったりしようね。(時々、私の弟が買い取ってくれています笑)
(8歳)(5歳)8歳になりました
自閉症スペクトラムの長男が誕生日を迎えて8歳になりました。
8年前の生まれたばかりのことを思い出してしまいます。
生まれた時の小ささ、でも命の重さをはっきりと感じたカンガルーケア。
その後の母乳拒否の辛さ。
小さい生物が動いていてかわいいなと思う気持ち。
今はもうすっかり大きくなって、私の膝に乗ると「ぐえええ」と私の声が出てしまうほど大きく重くなりました。抱っこできるのもあと1年くらいなのかもしれません。
一人で公園に行って友達と遊ぶことも少しずつできるようになってきました。
8歳おめでとう。
(7歳)(5歳)職場の介護休暇の制度
仕事復帰に向けて1ヶ月に一回、職場の産業医や臨床心理士さんと面接を行なっています。そこでは私の体調の確認、アスペルガーである長男の状況の確認などをしています。
仕事復帰するときに、職場の制度を利用して短時間での勤務ができないかみんなで模索しています。人事の方にも掛け合って直接聞きに行ってみましたが(知らない人と話すの疲れた)、介護の休暇制度は存在するものの、期限が有限のものばかりです。
1回取得すると同じ病名では二度と申請できなかったり…。
基本的に高齢の親の介護を一時的にする、という前提で成り立っていると思われるので「子供の介護」という長期的な介護を前提としていない制度のようでした。
あとは在宅勤務で乗り切って、と人事には言われましたが、私は窓口対応の部署です…。異動しない限りそれは難しいかな…。しかもうちの職場は大人数の職場なのですが、在宅勤務している人は片手程度…。名ばかりなのです。
私は仕事は生きがいだし好きなので、なんとか仕事を辞めずに働ける方法を模索していきます。
(7歳)(4歳)うつ病から約2ヶ月
私がうつ病になってから約2ヶ月が経ちました。抗うつ剤、抗精神薬、それから体調によっては睡眠導入剤を飲む日々です。
2月はほぼ寝たきりだったので記憶があまりなく、覚えているのは白い天井とその傾斜の角度。(我が家は一部天井勾配)
天井を見続けること2ヶ月ですが、まだ飽きません。普通の精神状態だと嫌気が差すと思いますが、特にそうも思わないので、やはりまだおかしいんだと思います。
3月には世界に色がついて見えました。
少し外に出られる日も増え、外の眩しさを感じ、辛夷(こぶし)の花の蕾が少しずつ大きくなり、咲いてアスファルトに花弁を散らしていく日々を見つめることができました。
少しずつ何でもないことで笑えたり、側からみればどうでもいいことで悩んで落ち込んだり。
今日から4月。
寝たきりdayから始まりましたが、どんな1ヶ月になるか楽しみでもあります。
(7歳)(4歳)子供の不登校に対応していたら、うつ病になった
前回からの続きのお話です。
ここまでの流れ↓
秋に自閉症スペクトラム(ASD)のアスペルガーと診断が長男につく。→特別支援学級に入れようと模索する。→入れるためには「お試し特別支援級体験が必要」→1週間支援級に行く→楽しく過ごして帰ってくる→普通級に戻ったら授業についていけないことの落差で子供が辛くなり不登校気味に→不登校気味の子供を何とか学校に行ってもらおうとあれこれ2週間頑張る→私が心身共に疲労困憊になり家事、育児が困難になる
というお話の続きです。
仕事を6連休している間に、心療内科に行ってみました。
子供が可愛いと思えないのは明らかにおかしい、と思い、予約がネットから簡単に取れた近医にとりあえず行ってみることに。
そこで出た診断は、うつ病。
まあそうだよね、うん、だよねだよね、という感じの病名。
うつ病だとは思っていました。
そして、使うかはわからないけれど取った診断書には「1ヶ月の安静」と書かれていました。
6連休をあけてすぐにその診断書を職場に提出できたわけではなく、多忙すぎる2営業日だったので上司には口頭報告(うつ病だったこと)しかできずに過ぎて行きました。
しかし同職種の方々にはたまたま会議で会えたので「うつ病になったので、お休みになると思います。ご迷惑をおかけします」と報告し、みんなから「ゆっくりしてきて」と言われて優しい仲間だなと思ったこともあったり。
あとは一昨年までの上司にたまたま出先で会えたので、そこで報告すると「今日は何となく元気がないと思ってた。そうか…1人で抱え込まないでね」と言われたり。
そんなことがあってから、3営業日目(診断書をもらって1週間後)に直属の上司達との話し合いがようやくでき、結局その日から3週間の病気休暇に入ることになりました。
結局、再延長し、さらに1ヶ月プラスになったので、今は3月末までお休みということになっています。(診断書代が毎回3千円で痛い…)
再々延長しそうな予感と、少しずつよくなってきている予感とどちらもありつつ、朝起きてみないと体調が何ともわからない日々です。
朝起きて足が痺れていたら昼か午後半ばくらいまで不調な予感、朝起きて足がスッキリしていたら0.5日〜1日好調な予感、というのが大体の予想です。
ここ1.5日はそこそこ元気に過ごせています。
うつ病になって、鈍化したと感じる部分(足の速さ、頭の働きなど)もあれば、鋭敏になったと感じる部分(自分の体調に向ける目、耳の聞こえ方など)もあればいろいろです。
でも最も思うことは、これから先あと70年くらい生きるので、まあこんなこともあってきっとよかったんだな、と思います。
たまにまだ、死にたくなったりしますが、生きたいと思う気持ちもあるからこそ、死を考えるのかな、とプラスに捉えてみたり…。
心身に負担がかかってしまった自分の生き方を見直して、これからの人生でそうならないようにするための方法を模索する時間にできるだろうから、この時間は決して無駄ではないと信じています。
・自分だけが犠牲になればいい
・家族に感情は吐き出さない
というのはもう辞めました。
その2つをしていたら、心身が折れました。
周りの人も巻き込んで犠牲者を増やすような生き方に少しずつ変えていきます!笑